■企業理念 |
Challenge is Happy
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■設 立 |
2008年 暖かい日
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■従業員数 |
3名
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■企業サイト |

代表取締役
松永真樹 - Masaki MATSUNAGA -
【誕生日】 1982年4月9日
【血液型】 A型
【出身地】 大阪府
【出身校】 創価大学経営学部
【経 歴】
小学:空手15回連続優勝
中学:ラグビー国体
大学:バイク日本一周、世界50ヶ国、留学
松永社長のカバンの中見ちゃいました♪

① 本 自分の脳みその勉強しています
② 手 帳 僕はグータラなので手帳で管理されています(笑)
③ 筆記用具 “ありがとう”を書くためのツール
④ リップ 口元にやさしい
⑤ ケータイ 親に緊急報告!
⑥ iPod shuffle セミナーを聴いています
⑦ 資 料 紙の無駄遣いしてすいません(笑)
⑧ ボイスレコーダー ラジオ番組を作っています
⑨ 鍵 オカンからの大切な宝物付き
⑩ マイ箸 your箸+フォークも持っています
⑪ パソコン やさしく使います
⑫ 名刺入れ 人脈玉手箱
Q1,学生生活をどのように過ごされましたか??
― 父の手伝い
大学に入学してからは、父が東京でも事業を立ち上げる話をしていたので、私もその事業に関わらせてもらいました。1~2年生の間は、付き人のようにずっと父の手伝いをしていました。その上である程度軌道に乗ることができ、様々な経営者の方々と話をしているうちに、「俺は親父の会社を継ぐために生まれてきたのだろうか。」という思いが芽生え始めたんです。よく考えるうちに、そんなレールの敷かれた人生を歩むために生まれてきたんじゃないと思い、大学2年の終わり頃に海外に興味を抱くようになりました。
― 海外への視点
当時経営者の方々に、僕の年齢(19歳頃)に戻れるとしたら、何をしますか?という質問をしたら、海外に行くという方がとても多かったんです。そこで単純に、この人達に勝つためには今のうちに海外に行っておいたほうがいいのか!と思ったんです。
大学3年生になり、元々私の学校は交換留学生が多い大学だったため、その人たちにコンタクトをとって話すようになりました。そのうちに、留学生から日本のどこが楽しい?って聴かれるんです。そのとき自分では答えられなくて・・・。俺は大阪と東京しかしらないのに、留学生達は日本中様々な場所に行っている。いや、ちょっと待てよ。俺は日本人なのに全然日本のこと知らないじゃないか。
これから海外に行くのに、俺は何を話せばいいのかと思ったんです。そこで日本を知るためにも、すぐにバイクで日本一周うをしようと思いました。大学3年の夏休みです。
― 海外への旅立ち
日本一周の旅を終え、帰ってきてからはこれでどんなことを聞かれても答えられると思いました。しかし、いざ英語で話そうとしたときに、伝えたいことがあってもうまくそのことを伝えられない自分に気づいたんです。そこで、海外の人へ伝えたいことを伝えるためにも留学しようと思い、9ヶ月L.A.に、そこから半年間N.Y.に行きました。
― そのとき英語は完璧に話せるようになったのでしょうか?
全然ダメですね(笑)
もともと受験勉強もあまりしたことがなく、単語もあまり知りませんでした。でも、とりあえず明るく振る舞おうと思って、そのときアフロの金髪だったのですが、それをうまく利用しコミュニケーションをとりました。異国の地での9ヶ月間はとても苦労をしましたね。
― 留学中、英語はよく勉強されたのですか?
めっっちゃやりました!1日17時間くらい、9ヶ月間は勉強ばかりしていました。
全然ダメと思いながらやっていたのですが、3ヶ月目くらいにポコっと話せるようになったんです。けれど、また3ヶ月くらい成長が止まってしまう。しかし、また3ヶ月たつとぽこっと話せるようになったり(笑)3ヶ月毎にそのようなことを繰り返しある程度話せるようになったかな、という所で日本帰ってきてしまいました。
また、語学学校に留学していたため、アジア人など様々な国の人が集まって来ていました。そこで感じたのは、言葉が違ってもそれはツールの違いだけであり、コミュニケーションの本質は一緒であるということ。いろいろな国の人と話すうちに世界がドンドン広がってきて、「ペルーのマチュピチュって凄いよ!」とか、「ナスカの地上絵って凄いよ!」などと言われるうちに、そこに行ってみたいなって思ったんです。
それまではパンフレットでこんなものかな、というくらいで満足していたのですが、地球に住んでいるなら実際に自分の目で確かめてみたいと思ったんです。1年くらい時間が残っていたため、大学生で50ヶ国行ってるやつはそういないなと思い、留学終えたあと50ヶ国を回ることにしました。
― 50ヶ国と聞いただけで凄いですね。その中でも印象が強かった国はありますか?
それはもうインドですね。50ヶ国目の最後に絶対インドに行こうと思っていたので。
バナラジというガンジス川沿いの土地があるのですが、そこは死体が浮いているし、焼かれているし、それを食べている犬がいたり・・・。その様子を見たときに本当に人間て死ぬんだなって思ったんです。何かそれが妙に新鮮で、自分も死ぬし、自分も焼かれる。でも自分は生きるんだ。と思いましたね。
その後、ガンジス川に飛び込み沐浴をしました。そこで50ヶ国を達成し思ったのが、これはゴールじゃなくて、ここからがスタートなんだということ。これから社会に出て、世の中のために貢献できる人間になろうと思いました。
そして沐浴を終え、駅の待合室で空港へ向かう電車を待っていました。そろそろ電車が来たかなと思い、ホームに行ってみると人がたくさんおり、「電車来ますかね?」と尋ねたら、もう少しで来るから待ってな。と言われ、待ってたんです。けれど20分待っても電車は来ない。また変な嘘をつかれたな思い、待合室に戻ろうとした瞬間、『ボーン!』という音が一面に響いたんです。
最初何が起こったのかわからず、瞬く間に黄色いテープが貼られ、ヒンズー語で「テロ!テロ!」と言ってるのが聞こえてきました。「え?テロ!!?」なぜか俺は真相を見たくなって、黄色いテープをくぐり、窓ガラスが割れているところに行ってみることにしたんです。現場に着くと、手足がない人がいたり、下半身が飛んでる人がいたり・・・。翌朝新聞を見てみると、50名程の死者がでたらしく、20分前までにそこにいた自分を創造すると、とても恐くなりうずくまって震えだしてしまいました。
またテロが起きるんじゃないか、早くここから逃げたほうがいいんじゃないかと思ったのですが、逃げる途中でのテロが頭をよぎり、その場で動けなくなってしまいました。しかし、10分くらい経つと自分が乗る予定だった空港行きの電車が来て、その電車に乗った後はずっと涙が止まりませんでした。
そこで、泣いているときに自分はなんで泣いてるんだろうって思ったんです。そのとき出した答えが、俺は生きたいから泣いてる。なぜ生きたいのだろうか、と考えたとき3つの答えが出てきました。1つ目はもっと親孝行したい。2つ目は結婚したい。3つ目は起業したい。なぜかわからないけどこの3つが出てきて、そのために生きたいんだって確信したんです。
帰国してからは、入社が2週間後に迫っていたのですが、「俺は果たしてこの会社でサラリーマンをやっていいのかな」「もし明日、俺が死んだときにそれで満足できるかな」という考えが頭をよぎったんです。だんだん自分の中で?が起き、起業しようとも思い代表と相談したのですが、「起業するのはいいけど、何をもって起業するんだ?もしないなら、それをみつけるまで働いてもいいんじゃないか」と言われたんです。その後、その会社には2年間お世話になりました。
Q2,学生時代にやり残したことはありますか?
ない。強いて言うなら学生団体。
実際はないです。たぶん、もう一度この大学生活をやれって言われたら無理だろうし、それくらい満足した学生生活だったなと思っています。
でも、もし強いて言うなら、学生団体をやってみたかったですね。それで学生起業家として、みんなとおもしろいビジネスをやれたら楽しかったかな、と思います。けれど、それを何歳の段階で組み入れられるのかと考えたら、思いつきませんね。
Q3,会社を立ち上げたキッカケは?
大学卒業後、会社に入社し一応やりたいことは見つかったのですが、実際にしてみたい事っていうのは、やってみなきゃわからない部分があるじゃないですか?+α、会社員としては給料の対価として、やらなければいけない仕事をしなければいけない。そのギャップにとても苦しんで、葛藤を繰り返すいちにモチベーションもなかなか上がらないこともありました・・・。
けれど、その中で会社を立ち上げたキッカケというのは、たまたま2年目の正月に知人が会社を立ち上げると言ったんです。トップを支えるような知的なリーダーという印象が強かった彼が、先頭に立って「世の中を動かす。」という言葉を言ったんです。それを聞いたときに、「こいつとてもカッコ良い、こいつはやるって事を決めたんだ。」と思ったんです。
そんなこともあり、その年の正月はずっと自分について考え、いま自分は会社に甘えてるだけじゃないか、と思ったんです。それなら決めよう!と思い、3月で会社を辞め、起業を決心しました。偶然にも決めた瞬間にやりたいことがみつかり、やはり「決めること。」というのはとても大事なんだなと実感しました。会社を立ち上げたキッカケはその人の影響が大きいですね。
Q4,今後のビジョンは?
Challenge is Happy.
これは企業理念でもあるのですが、チャレンジすることが楽しくて仕方ないという世の中を創りたいな、と思ったんです。チャレンジすることって、力のいることという印象が強いじゃないですか?でもそうじゃなくて、チャレンジそのものが楽しいんだ、ということを伝えたいと思っています。来月出版するのですが、その出版するプロセス自体が楽しいということを、伝えていきたいなと。
誰でもチャレンジできて、そのプロセスを楽しめるプロセスを創りたいなと思いました。
また、私はチャレンジすることが感謝を生み出すことだと思っており、日本一周することや海外えを旅すること、また起業するときなど、何かを生み出すことって一人ではなかなかできないと思うんです。そこに誰かの助けがあるからこそ生まれるありがとうがあるから、だからこそ私はとても感謝しますし、この瞬間ここにいることにもとても感謝しています。でもそれはチャレンジした結果として、いまここに感謝を生み出しているから、乗り越えたいハードルに自分一人では届けない。これから何かをしたいと思ったときに、それを一人では乗り越えられないことがたくさんあると思う。でもそこにいろんな人が関わって、持ち上げてくれたときに乗り越えられる。それを考えたときに、それが感謝になる。
社会にとってどのような学生が求められると思いますか?
この瞬間を自分らしく、本気で、何でも全力で打ち込める人
私たちって、今日この瞬間しか生きられないわけじゃないですか?
だからこの瞬間を自分らしく、本気で、何でも全力で打ち込める人、というのが素敵かなぁ。別にやりたいことがなくても良くて、それだったらやりたいことをやろうとしている人たちを応援してあげたらいい、そこに全力で応援して応援して。主役を支える主役になったら良いと思うし、そこから今度自分がやりたいことが見つかったら、必然的に自分が応援される側の人間になっていると思います。
何でもいいから、この瞬間、目の前のゴミを拾っても良いし、話を聞いて欲しい人の話を聞くだけでも良いし、ただその瞬間の役割を見つけて、これだということをするのもはとても良いことだと思います。
松永様はごみを拾う活動もされているんですよね?なぜそのような活動を始めようと思ったのでしょうか?
地球は生きている
自分が世界中を旅していて気がついたのが、「地球は生きている」と思ったんです。
今こうしている間にも、火山は噴火しているし、海も空も動いている。そして植物や動物は、その活動による自然サイクルによって生きている。土に種を植えると芽が生えますよね?これってやっぱり地球の生きている証だと思うんです。 この地球に害を与えているのは人間であり、以前メキシコに行ったときに、地平線を40時間くらいバスに揺られました。その中で大地を見て、地球は生きているなぁと思うわけです。
でもこのアスファルトは誰が作ったんだ?人間じゃないか。地球君という人間がいたときに、その中にいる人間である私たちは悪玉菌や虫歯であり、ゴミなどを捨てて地球君を虫歯にしちゃうわけじゃないですか?人間は歯医者さんが治してくれるかもしれませんが、地球君は自分で治さなければいけないわけです。
そう考えたときに、地球君と友達になるためには、やはり地球君のために何かできることをやってあげることが大切じゃないかと思ったんです。もう3年目になりますが、何かできることから始めようとスローガンを掲げ、「My Earth」という」環境団体を運営しています。今はゴミ拾いをしつつ農業もやっていて、所沢に度々農作業をしに行っています。来年は農地を一面借りて、手伝ってくれた人の名前入り野菜を作ろうと思っています。
ずばり自分を一言で表現すると?
こども(小学21年生)
子供って駆けっこしたいときには駆けっこするし、ドッジボールをしたかったらドッジボールをするじゃないですか?
それって今の自分と一緒で、やりたいと思ったことがあったら勝手にやっている。そう考えると、私はいま小学21年生(笑)
一言で表すと小学21年生じゃないですかね?
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まるで少年のような眼差しで、2時間熱く語っていただいた松永社長。幼い頃からの経験や現在の自身に至るまで、自分の考えがしっかりとリンクされており、時間が経つのを忘れるくらい楽しいひとときが過ごせました。『Challenge is Happy.』その言葉は、世界中の人々を肌で感じた松永社長だからこそ言える言葉なのかも知れません。僕の辞書にまた新たな名言が刻まれた瞬間でした。
Interview by ゆーと
